音楽関連の書籍を読んだので感想を書いておきます。
感想というより、ほとんど引用ですね。
読みながら赤ペンを引いていた箇所をまとめておきました。
なぜヒットが生まれなくなったのか?
”ヒットの崩壊”は単なる不況などではなく、構造的な問題だった。
「モノ」から「体験」へと、消費の軸足が移り変わっていったこと。
ヒットは聴く人が作る。作る側はあくまでも”作品”を作ったのであって、”ヒット曲”は聞く人が作った。(大滝詠一)
アーティストたちも生き残れない時代になっているのだろうか。音楽不況が叫ばれるようになった00年代以降の方がアーティストは着実にキャリアを重ね息の長い活動を続けることができる時代になっている。
”アイドルグループの寿命は数年”それが90年代までの常識だった。しかし10年代のアイドルシーンは違うものになっている。前途の通り嵐やperfumeはデビューから10年以上のキャリアを経て今もなお活躍を続けている。
アイドル戦国時代は単なるブームには終わらなかった。
CDよりもライブで稼ぐ時代になっているのだ。
生の体験が重要になってきたという時代の変化を通して音楽業界の産業構造も変わってきた。
それによって実力あるアーティストはむしろタフに活動を続けることが可能になった。
若手のアーティストがヒットを飛ばすことが難しくなった理由を2つ挙げている。
1つはレコード会社が新人に投資する余裕がなくなったこと。そしてもう一つはかつて有効だったプロモーション戦略が通用しなくなったことだ。
ヒット曲を聞かれることではなく、10代や20代に歌われることによって生まれる。カラオケで歌われるれるのがヒット曲の条件と言われるようになっていた。
ヒットを生み出すために重要なのは刷り込みだったと小室は言う。そのために最も効果的だったのが地上波テレビでの露出だった。
小室はこう分析する。YouTubeが1番大きかったでしょうね。映像が見れてMP3と同じ音で聴けるんだったら別にこれでいいじゃん。と思うようになった。
その時点で音楽にお金を払うことに疑問を感じる風潮が生まれてきた。
これが21世紀なんだなぁって思いました。
音楽はどこでも聞けて当たり前のように身近にあるものになった。
ソーシャルメディア以降の時代はパーソントゥーパーソンですからね。アーティストもファンも対等な立場だから一人一人フォロワーをケアしていくしかない。
そういう意味では秋元康さんはさすがだったと思います。
誰もが知ってるヒット曲がなくても、動員を稼ぐことができるようになってきたのである。K-POPのアーティストがわかりやすいですよね。
ビックバンは東京ドームに5万人を何日も集めることができる。
でも一般の日本人がみんな知ってるビックバンの曲ってそんなにないと思うんです。
みんなが知ってる1曲がなくても収益を上げることができるになったわけである。
曲の射程範囲はより狭いものになっている。
YouTubeの再生回数を稼ぎ、スタジアムで何万人を熱狂させる一方、その熱が外側に伝わらないように曲は多い。
ヒット曲はもはやお茶の間のものではなくなった。しかし皆が知っているヒット曲がなくともファンを大動員を稼ぎライブを主軸に活動を続けていくことができるようになった。
ヒット曲が少ないことが意味するのはつまり音楽とう存在が社会に対して与える影響が弱くなったことだと思うんです。
90年代は音楽がポップカルチャーの主役だった。
少なくともテレビから流れる1曲の数々は若者たちの話題の中心なっていた世代の共通体験となっていた。
そういう時代においてもなお、人々の共通体型になり得るものとして残っているのが卒業式や結婚式などのイベント。
世代やセグメントを超えて曲が伝わっていくことができる現象としてではなく、より聞き手一人ひとりの生活や人生に近いところを介して社会に影響与えていく。
それが今の時代のヒット曲のあり方と言えるかもしれない。
ビルボードの考え方はあくまでリスナー目線です。
今はパッケージのセールスだけでは説得力のあるヒットチャートを作るの難しい時代だと思うんです。
2015年の音楽コンサートの市場は3,405億円となり4年連続で過去最高記録を更新し続けている。
音楽フェスの市場規模は222億円動員数は2,340,000人とこちらも拡大を続けている。
体験はコピーできない。無数のアーカイブから好きなときに好きなだけ音楽を聴くことができる。しかし一方でライブの体験をコピーできない。現場で生で味わう迫力や臨場感は複製できない。つまり一回性によってその魅力が保たれている。
ミュージックビデオがYouTubeに公開されていれば好きなときに好きな場所でそれを見ることができる。いつでもどこでも無料でそれを楽しむことができる。そういうタイプのコンテンツの供給が爆発的に増えたことで逆に、その時間その場所でしか体験できないコミニケーションの価値が上がった。
デジタルメディアを媒介して届けられる情報ではなく、目の前の空気をふるわせて伝わる音にその本質がある。
全く別のものを合わせたら意外と美味しい。と言う発想はコンセプトだけのものでは無い。作曲家たちもそれを音楽的に実践しているその代表がBabymetal。
メロディーや曲展開が細密化し、1曲の中にジェットコースターのような目まぐるしい展開を持つ楽曲が人気となっている。
なぜ日本では海外に比べて定額制ストリーミング配信サービスの普及が進んでいないのだろうか。理由はシンプルだ。邦楽の最新曲が網羅されていないのである。配信を許諾していないアーティストが多く存在する。
この本の冒頭では「音楽が売れないと言われ続けてもう20年近くがたつ」と書いた。
しかし現在のアメリカの状況は「音楽が売れない」と言う認識の遥か先を進んでいる。意図的に「音楽を売らない」ことを選び続けたアーティストが新世代のスターになり巨額の収入を得ているのである。
小室はアデル「25」が世界中で記録的なヒットとなったことについて音楽の未来への明るい材料だと思っていますと語る。そしてその成功の理由を圧倒的な歌唱力にあると分析。数十億人に1人のレベルの才能が世界的な成功を収める時代になってきているという事にポジティブに捉えている。音楽の力だけでたくさんの人々に「なんだかわからないけどすごい」と言わせられるかどうか。歌唱力だけじゃなくてもいいんです。
不特定多数のマスを相手にヒットを狙うのではなく、アーティストが自らの個性を発揮しそれに共感するファンやリスナーの輪を着実に広げていく。そういう環境を作り広げていくことが日本の音楽シーンの多様性と豊かさにつながっていくはずだ。
音楽史の未来を考えるならば、その鍵はアイドルもロックバンドもシンガーソングライターもダンス&ボーカルグループもアニメソングも全て含めて様々なジャンルに横断して広がっている今の日本のポピュラー音楽の多様性をどう届けどう伝えていくかにかかっているだろう。
この先は各地に点在する熱気に価値がある時代がやってくる。
とても参考になりました。
当スタジオでも活かせるところは活かしていきたいと思いました。